篠芳史さんの思い出

篠芳史さんの思い出

篠芳史さん(以下、篠さん)が旅立ってから、今年で10年目になる。
既に故人とはいえ、過去の人物という感じが全くしない。
篠さんは、日本GAPの東京月例セミナーの司会者を長年務めていて、録音済み音声を聞くことが多いので、今でも身近に感じるのかもしれない。

篠さんの司会はとっても紳士的で一言一言に味わいがあり、会場内をよい雰囲気で包んでくれていた。
篠さんが司会者を自ら降板した1997年1月以降、会場の雰囲気が激変していき、私は東京月例セミナーへあまり出席しなくなってしまったほどである。
日本GAPの解散以降、私は「Cosmic Consciousness」ホームページの運営協力をしていた関係で、元・横浜支部代表の清水正さんとだけは定期的に連絡をとりあっていたが、それ以外のGAP会員との交流は、ほぼ皆無であった。

そんな状況が続いていた中、
2005年に、ひょんなきっかけで、篠さんと会うことになって、清水正さんの活動とも合流することになり、大きなターニングポイントを迎えることになった。
その出会いが実を結んで、「生命の科学」勉強会(CC会)が立ち上がるのに至ることとなったので、その頃の思い出話を共有しておきたいと思う。
主に篠さんからの書簡(メール)をもとに時系列に回想していくことで、懐かしい思い出の回想とともに活動の原点を思い出して、新たな活力を沸き起こしていくのに、きっと役に立つはずである。

2005年04月10日


同じ県内に在住のAさんから、私のホームページのお問い合わせフォームから連絡があって、アダムスキー哲学の話が出ていたのでホームページの相互リンクをしましょう、というやりとりした。
そのやりとりの中で、東京月例セミナーの話が出て「どこかで会ったかもしれませんね」の話が出て、そういえば篠さんが・・・という話になって、篠さんと連絡をとりあう展開になった。
後で篠さんから聞いたところ、この時、篠さんとAさんは「生命の科学」の英語原文から読んで新たな翻訳をしている最中で、頻繁に連絡をとりあっていていたそうである。

2005年04月12日



この後さっそく、篠さんからの初メールをいただいた。
この時は、大先輩に対して私の方から気楽に「会いましょう」とは言えず、軽く返信する程度だった。

2005年07月20日




約3ヶ月後、篠さんから「8ミリVTRをDVDに変換したい」と相談メールがあった。
これを機に、近くで会うことになった。
2005/7/23(土)に、海老名のファミレス「ジョナサン」で会うことを約束した。

2005年07月24日



前日(7/23)に会って、たくさんいろんな話をしたので、その翌日のメールである。
とにかく時間を忘れるくらい楽しい会話だった。

最初に、本題の8ミリVTRのDVD変換の件について話した。
これはとても貴重な映像なので何としてでも今のうちにDVDにして遺しておきたい、とのことだったが、今はこれを再生できる機械もないので、どうにかしたいということだった。
撮影したカメラにはTV出力端子かS端子があるはずなので、それがあれば変換可能だという話をしたので、カメラを貸してもらう話になった。

この後は、日本GAP解散後のお互いの近況の話になった。
篠さんの方は、遠藤昭則さんの「日曜会」(?)という勉強会に参加していた、とのことだった。
それとは別に、今は「生命の科学」をもう一度、英語原文から徹底的に読み直してみようと思って、前述のAさんに新しい翻訳文の作成をお願いしているところだ、と話してくれた。
金星へ生まれ変わるための具体的な準備をしておこうと思って・・・・・と、しきりに話していたように思う。

私の方は、その後どこのグループにも参加せず、一人で今までどおり、アダムスキーの宇宙哲学を学んで日常生活で活用する日々を送っている、
横浜支部代表の清水正さんとはずっと「Cosmic Consciousness」ホームページの運営強力をしているので交流を続けている、
という話をしたところ、
篠さんは、「あっ、彼は(清水正さんは)とても純粋です」 と言って、今度みんなで一度会いたいですね、という話にすぐなった。
そしてホームページの内容がとても充実しているので、ぜひ載せて欲しい記事があると言って、雑誌「UFOと宇宙」の記事のことを話してくれて、今度送ってくれるという話になった。

2005年07月25日



一昨日に会った際に、GAPニューズレター(「UFO contactee」誌)の全145号をDVD1枚に入れてプレゼントしたら、とても喜んでくれた。
こんなすごい情報が全部載っているホームページはすごい!と感動してもらえた。
それですぐに清水正さんへ連絡をとって親しくお話をされたとのことだったので、私も嬉しかった。

2005年07月26日



すべてがよい展開になっているようなので、翌週もう一度、会うことにした。

2005年07月27日



雑誌「UFOと宇宙」をどっさり1箱分送ってもらったので、すぐにスキャナーで画像データ化した。
この時はもちろん裁断はできないので、フラッドベッド型スキャナで1ページずつセットして、スキャンした。
実はこの作業は、私の妻にぜんぶやってもらっていた。

2005年07月28日



今週末(2005/7/30[土])の夜に、前回と同じく海老名のジョナサンで会うことになった。
その時に、8ミリVTRテープとカメラを借りることになった。

2005年07月31日



前日は2回目の会談だったが、前回以上に親しく、いろんな話をした。
8ミリVTRテープは、カビ等も多くて状態がよくなかったので、このビデオカメラで再生するのは危険だと判断し、専門サービスへ依頼するのがよいとお話した。
費用がかかってでもDVD化を実現したいとのことだったので、私が業者をさがすことにした。
8ミリVTRテープを変換してくれるサービスは、この頃すでに稀少になっていたが、カビの生えたテープまで扱ってくれるサービスとなると、ほとんどなかった。
伊東芳和さんも同じ内容のビデオを保有しているかもしれないので、万が一変換が不可能であれば、ビデオをお借りしようか、という話まで出た。
他にも、日常での宇宙哲学の話など、いろんな話をしたが、この1週間で、8ミリビデオの件や「UFOと宇宙」の件など、いろんなことが急速に進展した。
清水正さんとの交流も生まれたので、すべて実現できそうな確信が生まれた。

2005年08月01日





唯一の調整課題と懸念事項は、著作権等の権利関係だった。
ビデオ内容の一部を仮に公開する場合、そこに映り込んでいる人物との調整も必要になってくるが、今や全員が友好的関係になっているわけではない。
久保田八郎先生の記事や旧ユニバース出版社の権利はどうなっているのか?等、心配すれば限りなく懸念点が出てくる。
権利者が死亡・廃業・消息不明なコンテンツなのだから100%完璧な許可を得ることは不可能だけど、それを完璧に心配し過ぎても何もできないことになるので、どういうシナリオで進めていくか?について課題を考えることにした。

2005年08月19日



8月13日(土)に、篠さん、清水さん、私の3人で、新宿で会ってお話した。残念ながら、真理さんは、急な予定ができて参加できなかった。
8ミリVTR変換の件は実はこの後、専門サービスへ依頼していたが、テープの状態が思った以上に悪く、予算オーバーしてしまう旨を篠さんに伝えて快諾していただいていた。
業者さんによると、「カビが糊のように固まっている部分があり、その部分を再生機で再生すると斜めに切れてしまうことがある。一旦テープを解体して、状況の悪いものはカビを溶かす液に漬けて手巻きするので、費用と時間がかかる」とのことだった。ビデオテープのうちSONY製は大丈夫だけどAXIA製は状況がものすごく悪くて、よく切れたらしい。

2005年08月23日



8ミリVTRの変換の件は、当初の予算は1万円程度の見込みだったが、結果的に4万円になってしまったが、変換が無事に成功して、篠さんはとても喜んでくれた。

2005年08月27日



8ミリVTRの変換作業代金を、コンビニ払い(SmartPit)でご入金いただいたので、その返信メールである。
これでこの案件については、一件落着となった。

この後、篠さんは清水正さんと連絡をとりあって、勉強会を開催していく構想が生まれていった。
篠さんは、よく次のように言っていた。
遠藤さんの勉強会は素晴らしいんだけれども、入り口をシャットアウトして選ばれた人しか参加できないようになっているのは感心できない。
私だったら、入り口はオープンにして誰でも参加できるようにするけれども、その代わり妨害する人はバサっと切るよ、というふうにしたい。

2007年01月21日

記録は特にないが、清水正さんからのメールで、篠さんによる「生命の科学」勉強会をいよいよ2007年3月10日(土)より池袋の東京芸術劇場にて開催する旨のアナウンスがあった。
この勉強会の名前は特に指定されなかったので、ホームページのタイトルから Cosmic Consciousness会、略して「CC会」」となった。
当初は、毎月1回集まって全12回で完了予定だったが、その後も2ヶ月に1回の頻度で、継続していくことになった。
そしてこの勉強会は、2025年現在、まだ続けている。
扱うテーマがアダムスキー氏の助言どおり、
「宇宙の法則の 原理 と (日常生活での)応用 」
 という、永遠にネタ切れしないテーマを
常に新鮮な気持ちで、しかも楽しく友好的な雰囲気で語り合うのだから、自然に続けていけるのだと思う。

2007年05月04日



第3回目で私が欠席の連絡をした時の、篠さんからの返信メールである。

2013年04月22日



このDVDは、篠さんが講義で紹介していた「見てわかるDNAのしくみ」という書籍の付属DVDである。

カビが生えてしまったけど内容を読み出したい、とのことだったので引き受けた。
が、結局読み出せず、私が同じ本を購入した。

2015年09月27日



これはメールではなくて私の日記メモである。
この日、篠さんが急遽欠席した。ギックリ腰になったと知らされたけど特段疑いはなかった。
後に奥さんから聞いた話では、この日はすでに一人では歩けない程に病状が悪化していたけれども何としても参加したかったとのことだった。
篠さんは自宅で、この日に行うべき講義を、ご家族のためだけにきちんと行ってくれた、とのことだった。

2015年10月08日



清水正さんからのメールで突然、篠さんの訃報を知ることになった。まさか!と思った。
前回の勉強会(7月5日)はいつものとおり元気だったので、全く信じられなかった。

10月11日、お通夜に出席した。高野さん、中島さんが既に来ていた。
ご家族の方から、篠さんのお話をいろいろ聞かせていただいた。
篠さんは実は以前から、アスベスト肺の労災認定を受けていて、ずっと余命宣告を受けていた状態だったそうである。
CC会の勉強会に来ている時は、元気そのもので、夕食会でもビールをたくさん飲んでいたので、闘病中であることなど誰も想像することすらできなかった。
自分の健康維持を保つためにも宇宙哲学を真に実践し、8年もの間、勉強会で元気な姿を見せて指導してくれていたことへの感謝と同時に、その壮絶な生き様に拍手喝采を送りたい気持ちである。
篠さんが最期に息を引き取る時、一度うなづいて覚悟を決めたような表情を浮かべてから旅立っていったそうである。

2015年12月20日

記録は特にないが、この日の勉強会は、「篠さんを偲ぶ会」ということで、篠さんのご家族(奥さん、兄弟、息子)が出席してくれた。
生前の思い出話や、CC会への思い等、いろんなお話を聞くことができた。夕食会も開催した。
篠さんの遺品として、「生命の科学」の新訳版(印刷済)を受け取った。
私は、この後さっそく、スキャンしてOCR化し、自動読上音声に変換することを試みた。
ちなみに、ScanSnapというドキュメントスキャナでワンタッチで全ページスキャンしてPDF化した後、1ページずつに分解して、Googleドキュメントで開くと自動でOCRがかかってテキストファイル化されるので、それをダウンロードし、一太郎の自動校正機能等を使って間違いを正し、全ページのテキストを連結すれば、できあがりである。自動音声は「AI TALK3」というソフトでMP3音声を出力した。
この後のCC会では、ここで作った音声データを活用している。
篠さんの朗読にはとうてい敵わないけれども、本の朗読を(目で見るのではなく)耳で聞きながら、自分に沸き起こってくる考えを発表するという、篠さんの勉強スタイルをこれからも続けていくためである。

補遺1

ここで語るのは、やや気が引けるが、
「生命の科学」の知識を自分の体に応用して健康を保っていたはずの篠さんが急に健康を害したのには実は、きっかけとなる一騒動があった。
勉強会の参加者の中に、マルチ商法で水素水生成器の押し売りをしてくる男がいて、ものすごい勢いでショートメールが届くのに悩まされている女性参加者たちから、お悩み相談を受けていたそうである。
普段絶対に怒りの感情を出すことなど皆無だった篠さんが、「よし、私からビシッと注意してあげよう」といって、めずらしく高テンションになったことがあったのだ。
そのショートメールは、大勢の人にバラまかれていたようで、もちろん私宛にも同報で来ていたが、iPhone のショートメールは未使用だったので、気づかなかった。
たしかにその騒動があった時(2015年初頭)を境にして、篠さんは講義中に、声がやや少しかすれる場面が出てきたりして、体調が急速に落ちてきていた。
他にも、身内の葬儀があったりして体力も消費した出来事があったそうなので、必ずしもこの騒動だけが唯一の原因ではなかったと思うが、唯一悔やまれる出来事だった。
ちなみに久保田八郎先生も、最後の入院中に、激しい感情が吹き荒れるような出来事があって、そこから急激に体調を崩してしまったらしい。
この地球で生活している以上、「最後の試練」( 「膿」のようなもの )ともいうべき出来事があるのかもしれない。
後になって振り返ってみれば・・・である。

補遺2

篠さんは、8年間の勉強会の中で、確実に「生命の科学」の理解を深めていき、翻訳文もだんだん変化していった。
もともと英語原文から読み直してみようと思ったのは、久保田八郎先生の翻訳がまずかったからではなく、どうしても理解できなかった部分を補ないたかったから、とのことだった。
現在公開している最終版の翻訳は、まだ改訳の途中だったらしいが、完成版として遺してくれたものである。
訳文がところどころ、久保田八郎先生が使っていた言葉に戻っているが、たとえば ”至上なる英知”(Supreme Intelligence)という訳は、久保田八郎先生だけが成し得た名訳だと讃えていた。

さて、篠さんがもう一つ心を悩めたかもしれない出来事は、前述のマルチ商法男の他に何名かが、篠さんがオムネク・オネクや益子裕司さんの話題を好意的に取り上げたことを猛烈に非難していたことである。
心霊情報に惑わされている、とか、オムネク・オネクはサタンだ、等々。
篠さんはよく、こう言っていた。
「生命の科学」を英語原文から掘り下げて読んでいって理解は深まったけど、それでもどうしても分からない部分があった。それが、オムネクの本の中にサラリと書かれていたんです。今後の解説講義のなかでオムネク・オネクを話を少し引用していきたいんだけど・・・?」と。

私は最初、オムネク・オネクという名前すら全く知らなかったけれど、2012年頃、池袋の豊島区立勤労福祉会館で行なわれたCC会勉強会に、コラムニストの 辛酸なめ子さん という方が本名で潜入取材のために参加していて、そこでその本の名前が出て知ることになった。ちなみに辛酸なめ子さんは「霊的探訪」という本で、とても好意的な記事を書いてくれているので、ぜひ一読してほしい。(この中に登場する「IT系の男性」が私)

篠さんに「オムネク・オネクって知ってますか?」と聞いてみたら、高橋さんに勧められて読んでみてものすごい真理が書かれている本だと絶賛していたので、私も読んでみた。たしかに、アダムスキー氏が大雑把に語っていた領域の話がところどころで、とても分かりやすい譬えで語られている箇所がある。
でも心霊業界で使われているような言葉が頻繁に出てくるので、たしかに旧アダムスキー派の人達は毛嫌いするはずだろうな、と思った。
篠さんは別に「オムネク・オネク」の話を完全に鵜呑みにしていたわけではないし、私と同じく
「おいしい部分、栄養のある部分だけを参考にして取り入れればよい」という合理的・現実的な考え方だったので、何も問題ない。

高次元(物体の周波数が高い)世界を表現できる言葉が存在しない以上、旧来、神智学等で使われてきた既製の言葉で説明せざるを得ないので、心霊的だ!と短絡的に考えてしまうのだろう。
アダムスキー氏は決して唯物主義ではないし、オムネク・オネクが語っているような高次元な世界のことを、あえて書籍内で言及していないだけで、別に完全否定していたわけではない。

しかしながら、そういう高度な知識を研究して知的好奇心を満たすことも、遠い将来的には必要になるかもしれないけれども、
今一番たいせつで優先しなければならないのは、自分の日常生活で応用可能な現実的・実践的なノウハウ である。
今から思えば、篠さんの場合、自身の「転生の準備」を常に現実のものとして認識して生きていたのだから、オムネク・オネクが伝えてくれた高度な知識に特別に共感できていたのだと思う。
常にオープンマインドで人に接するのが篠さんのポリシーだったが、その姿勢は「生命の科学」の研究でも一貫していたのだと、あらためて気づかされた。